助けて−パパ

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my name is nanami .... please help us, we dont have our mother and we dont have any communication with my dad.... and daddy if you can read this message please help us too..  

新移民残日録(118)

「パパ、助けて」

最近、こういう相談を受けた。相談者はわずか11歳の少女だったが、近所のおばさんに連れられてミンダナオ島スリガオ州の田舎からラジオ放送で「日比混血二世をヘルプする」と聞いて来たのだという。この少女の父は日本人で他に妹(8歳と5歳)が二人いる。父と母はセブでダイビング・ショップを経営していたが、当初五年間は結構裕福な暮らしをしていたが、仕事が上手く行かず六年前に倒産したらしい。そして父は逃げるように帰国し母とは離婚した。そして三年前には送金も途絶えたらしい。そこで母はやむなく、ペンパルのイギリス人と結婚し「ミドルス・ブロウ」へと渡った。この義父アダムスは良い人で比人妻の日比混血児三人を引き取ってくれ、叔母に連れられてイギリスへ渡った。ところが間もなく母は運命のいたずらか「乳がん」を発病し、第四期で死の床についたという。そして妊娠が判明し夫アダムスとの間に未熟児(男)を帝王切開で誕生させた。その後母の死は突然やってきた。母のか細い声を聞き取ったイギリス人夫は、日本人の前夫から国際電話がかかるようアレンジし、母は毎日首を長くして待っていたらしい。ある日待ち望んだ日本人夫からの電話があり母は涙を流しながら何事かを話していたが、ニッコリして電話を切りその数時間後に息を引き取ったそうだ。
日本人夫と何を話し合ったのか言葉が分からなかったが、私たち姉妹三人の養育を頼み引き受けたような気がすると幼いなりに推察している。11歳の長女が流暢な英語で涙も流さずに話してくれたのだが、聞く私は何度も声を詰まらせてしまった。本当に賢い少女だ。しっかりしている。話は続く。イギリスからフィリピンへ帰国する旅は「母の遺体」と「幼い三姉妹」だけだった。相談者の長女はしっかりしているといっても11才は11才だ。良く8歳と5歳の妹を連れて長旅を淋しく心細いままに帰れたものだ。義父は「自分も貧しいし、勤めがあるから一緒に行けないが、航空会社と良く話しをしてあり、費用は全部支払ったから心配するな」と空港で別れ際に話があったそうだ。母は同じ飛行機に乗っていても「貨物室内冷凍棺桶」の中だ。良く頑張れたものだ。田舎へ戻ってから気丈な11歳の娘は日本の父に電話をかけたが「パパ、ママはイギリスで亡くなり遺体と一緒にフィリピンへ帰った。お金がないから助けて」と訴えたそうだが、答えは「パパも再婚しておりお金がない。お前も一人で生きなさい。日本人なら十歳を超したら一人で生きるものだ。もう家に電話はするな。今の妻が怒るから」という話だったという。暫らく後で送られてきたのは一万円だけだった。この日本人父は幼い娘三人をフィリピンに棄てたのと同じだ。私はこの情けない日本人と比較し、イギリス人義父のそれなりの常識と立派さを痛感した。私はこの娘に「必ず父親の住所は探し出してあげる。父親への手紙を書きなさい」と言った。父は日本語とタガログ語しか分からないからとタガログ語で綺麗な字で認めた。「ダディー元気ですか?私は死んだマミーと二人の妹と一緒にフィリピンへ帰りました。今、お金がなくなり毎日はご飯が食べられません。それでもロラ(お祖母ちゃん)が、ご飯を作ってくれます。しかしロラも年のせいか元気がありません。叔母さんが私を引き取り学校へも行かせてくれるという話がありますが、下の妹二人と別れるのだけは絶対に嫌です。ダディー助けてください。 早く会いたいです」我々は娘に言った。「今、何を一番希望しますか?」返事は「私が日本で働きたいです。そうすればロラも下の二人の妹も毎日ご飯が食べられますから」ウーンと唸った。「18歳以下は日本では働けないんだよネ」「それならヤヤ(子守り)なら良いでしょう」。当面は「セブでなんとかするから心配しないで」と帰したがハテサテ?「日本のお父さん、子供を棄てないで」お願いだから。

日刊まにら新聞2006年5月15日